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  函館 湯の川温泉の歴史/湯の川温泉街の歩み

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函館 湯の川温泉の歴史
いにしえの湯の川温泉

函館 湯の川温泉の歴史

歴史ある北海道の名湯 湯の川の始まり と 湯倉神社の起源について 湯倉神社 (湯倉神社:市電・湯の川電停前)
◆湯の川の始まり
湯の川の語源は、アイヌ語のユ(湯)+ペツ(川)からきているとされるのが定説。ゆのかわの表記は「ゆの川村」として1644年「正保古地図」に記されたのが文献初出。
◆湯倉神社の起源
1453年、木こりが帰り道に、湧き湯を見つけ、後日、関節の痛みを湯治して癒した。御礼として薬師如来を刻み、小さな堂を建て安置したという言い伝えが起源といわれる。

松前城 ▲桜咲く松前城 江 戸 時 代 湯の川温泉発祥の地碑
▲湯の川温泉発祥の地碑
◆藩主を癒した温泉
653年(承応2年)、松前藩主九代・高広(幼名 千勝丸)が瀕死の病に冒され、治療も薬も効なく、日に日に悪化していった。ある夜、母の清涼院の夢に「松前城の東にある温泉に行けば、どんな病も治る」とお告げが現れた。この温泉が湯の川温泉であり、千勝丸を湯治させると、まもなく全快したという。藩は報恩のため、薬師堂を再建した。湯倉神社の一角にひっそりと佇む石碑が往時を物語っている。
榎本武揚
▲(榎本 武揚)
幕 末 榎本武揚と箱館戦争錦絵
▲箱館戦争錦絵
◆榎本武揚もお気に入りだった湯の川温泉
その後、しばらくは地元の人々が入る位であったが、文久3年頃(1863年)、100度Cの多量の湯が湧き出て、温泉宿ができた。箱館戦争の終わり頃には、旧幕軍の総裁・榎本武揚が250名の傷病兵を湯治させた。榎本自身も度々入浴に訪れたという。「百尺(約30m)も掘り下げたら必ず熱い湯が多量に出るだろう」と近従に話したことは興味深い。湯の川の隣町「榎本町」は彼の名にちなみ、名付けられたことは意外と知られていない。
温泉街 明 治 時 代 芳明館と市電通
◆函館の奥座敷・湯の川温泉
明治9年頃、この地域は下湯川村と呼ばれ、約100戸500人程が暮らしていた。温泉は湯量も少なく、広く知られていなかったが、福井県出身の石川藤助が100度C以上の効能すぐれた温泉を掘り当て、明治19年に湯治場を開く。榎本の言葉が藤助を動かしたと言われる。この頃から入浴客が増え、料理店、宿、小売店などが建ち並び、湯の川は賑わい始める。移住者が増え、別荘が建ち、明治20年には新道(今の電車通)も開通し、湯の川は保養地、避暑地として栄えることになる。また、明治31年には、馬車鉄道が開通し、大正2年に市電に替わり、大正7年には、日本初の有料道路が海岸線に開通し、湯の川はさらに賑わっていく。当時の市電の湯の川発・終電は22:00で現在よりも遅くまで運行していたという。
根崎海岸 昭 和 初 期 湯の川ホテル千人風呂 ▲湯の川ホテルの千人風呂
◆当時の賑わいと千人風呂
湯の川は海あり、山あり、温泉あり、と景色が素晴らしく、当時「湯の川八景」と呼ばれるほどの景勝地として親しまれていた。その後、北洋漁業の隆盛と共に賑わい、昭和20年頃まで「函館の奥座敷」と称されていた。
トラピスチヌ修道院 ▲湯の川温泉近くのトラピスチヌ修道院 和 か ら 平 成 トラピスチヌ修道院 ▲湯の川温泉街
◆湯の川温泉街の現在
函館は毎年500万人が訪れる国際的な観光都市となった。宿泊客300万人のうち、180万人程が湯の川温泉街に泊まる。近隣には日本庭園の香雪園、トラピスチヌ修道院、根崎海水浴場、熱帯植物園など、散策、行楽にふさわしい函館観光の拠点となっている。



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